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2020年7月12日日曜日

全能神教会 | キリスト教映画「危うく引き上げられる」抜粋シーン(7)人間が語り、真理と一致している言葉は、真理を表わすことができるか




神様は真理であり、道であり、いのちです。神様だけが真理の本質を有しておられます。神様ご自身が真理なのです。しかし、神様に用いられる人や聖霊の働きを持つ人によって語られた、真理と一致している言葉を真理と考える人が、宗教界には数多くいます。そうした人たちは、偉大で有名な霊的人物が自分の観念と想像を基に説明した悪しき教えや誤謬さえも真理と考えます。結果として人間に騙されて罠にかけられ、神様に抵抗し神様を裏切る人になるのです。では、真理とは実際には何でしょうか。真理と一致し、神様に用いられる人や聖霊の働きを持つ人によって語られる言葉を扱う正しい方法とは何でしょうか。

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年6月29日月曜日

全能神教会 | キリスト教映画「待つ」抜粋シーン(3)神様の御意向に従う者だけが神の国に入ることができる 日本語吹き替え



神の国に引き上げられるのはどのような人達でしょうか。主イエスはこう言われました。「ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」(マタイによる福音書 7 : 21)しかし、こう信じる人達もいます。天なる父の御意向に従うこととは、ただ主の御名に従い、主にひたすらに仕え、十字架を負う苦しみに耐えることだけを指し、この三つを実践していればあとはこのような主の再来に注意を向け、待つだけで神の国に迎え入れられる、と。このような考え方は果たして主のお望みに沿っているのでしょうか?このクリップを見て確かめてみましょう。

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年6月25日木曜日

全能神教会 | キリスト教映画「私の天国の夢」抜粋シーン(2)神様の国に入るために(その2)



たいていの信者は、神の言葉に従い、謙虚さと忍耐を実践し、パウロに倣って主のために惜しむことなく時間と労力を費やしていれば神様の御心に叶い、主が再臨された時には天国へと迎え入れられる、と思っています。しかし、私たちのそのような行いを本当に主が称賛し、天国に入るのを認めて下さるか、考えたことがありますか?どうすれば主に称賛され、神様の国へ迎え入れられることができるのでしょうか?

おすすめ映画

2020年6月24日水曜日

全能神教会 | キリスト教映画「私の天国の夢」抜粋シーン(1)神様の国に入るために(その1)



たいていの信者は、神の言葉に従い、謙虚さと忍耐を実践し、パウロに倣って主のために惜しむことなく時間と労力を費やしていれば神様の御心に叶い、主が再臨された時には天国へと迎え入れられる、と思っています。しかし、私たちのそのような行いを本当に主が称賛し、天国に入るのを認めて下さるか、考えたことがありますか?どうすれば主に称賛され、神様の国へ迎え入れられることができるのでしょうか?

東方閃電全能神教会は、イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年6月22日月曜日

全能神教会 | キリスト教映画「足枷を解いて走れ」抜粋シーン(3)聖書の先へ:主と共に神の国の宴に集いなさい



主を信仰する多くの人はこう考えています。神の御言葉と御働きはすべて聖書に書かれていて、聖書に書かれている神の救いは、それがすべてである、と。そして、神への信仰は聖書に基づいたものであるべきであり、信仰が聖書に基づいたものであれば、私たちは必ず神の国に招き入れられる、と。 こうした宗教的な概念は、私たちの心を縛り抑制する見えない縄のように作用し、そのため聖霊の御働きを探し求めることもせず、今行われている神様の御働きに服することができなくなります。それではどうやって、聖書と神様、あるいは聖書と神様の御働きとのつながりを理解することができるのでしょうか?「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。 」(ヨハネによる福音書5:39-40)全能神が言われます。「終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。」(『言葉は肉において現れる』より)神の御前に立ち、主の救いを受け、主と共に神の国の宴に集うためには、聖書から離れるよりほかにありません。

2020年6月19日金曜日

全能神教会 | 聖書映画「夢からの目覚め」抜粋シーン(1)神の御国は天にありますか、それとも地上にありますか



多くの主イエスの信者は皆、神様の御国へ引き上げられることを待ち望んでいます。しかし、神様の御国が実際どこにあるのかを知っているでしょうか。御国に引き上げられる「携挙」とは本当はどういう事なのでしょう?この動画、「夢からの目覚め」、は携挙の奥義を明らかにしれくれます!

東方閃電全能神教会は、主イエスの再臨である終わりの日のキリスト全能神の現れと働きによって創られました。当教会は、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、神の言葉によって征服され救われるすべての人々によって成り立っています。当教会は、全能神ご自身によって全てを創られ、全能神ご自身によって導かれ牧養されています。決して人によって創られたものではありません。キリストは道であり、真理であり、いのちなのです。神の羊は神の御声を聞きます。全能神の言葉を読めば神が現れられたのを見ることができます。

2020年4月5日日曜日

全能神教会 | 神の現れによる新時代の到来

六千年間にわたる神の経営(救いの)計画が終わりを告げようとしている。そして、神の国の門は神の現れを求めるすべての人にすでに開かれている。兄弟姉妹たちよ、何を待っているのか。あなたがたが探し求めているものは何か。神の現れを待っているのか。神の足跡を探し求めているのか。神の現れがどれほど慕わしいものか。だが、神の足跡を見出すことはいかに難しいことか。今のような時代に、このような世界で、神の現れる日をこの目で見るために何をするべきであろうか。神の足跡をたどるには何をするべきであろうか。神の現れを待つすべての人が、このような疑問を抱いている。あなたがたもこのような疑問を何度か抱いたが、その結果はどうであったのか。神はどこに現れるのか。神の足跡はどこにあるのか。答えは見つかったのか。多くの人は、「神は自分に従う人々に現れ、神の足跡は私たちのただ中にある。単純なことだ」と答える。決まり切った答えであればだれにでも言える。だがあなたがたは、神の現れとは何かを、神の足跡とは何かを本当に理解しているのか。神の現れとは、神がその働きを行うためにみずから地上に来ることである。神としての身分と性質をもち、また神に固有の方法で、一つの時代を始め、別の時代を終わらせる仕事を行うために、神は人類のもとに下ってくる。このような神の現れは儀式の一形式ではない。それはしるしでも、図画でも、奇跡でも、大いなる幻でもない。ましてや宗教的な過程でもない。それは、実際に手で触れ、目で見ることのできる現実的で実際的な事実である。このような現れはただ表面的な動作をするためでも、短期間の作業のためのものでもない。それは、神の経営(救いの)計画の中にある一つの働きの段階のためである。神の現れは必ず何かの意味があり、必ず神の経営(救いの)計画と関係している。ここで言う「現れ」は、神が人を案内

2020年4月2日木曜日

全能神教会 | 七つの雷が轟く──神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言

わたしは異邦人国家にわたしの働きを広めている。全宇宙にわたしの栄光は閃く。わたしの旨は星のように点々と散らばる人々の中に組み入れられ、みなわたしの手によって誘導され、わたしが与えた作業をしている。この時点からわたしは新しい時代へと入り、全ての人々を別の世界へ連れて行く。わたしが自分の「故郷」へ戻ったとき、わたしの最初の計画にある働きの別の部分に着手した。その働きにより、人々がわたしをより深く知るようになるためだ。わたしは宇宙全体を眺め、わたしの働きにとっていちばん良い時だと知る[a]。そしてわたしは、人々の中で新しい働きをするため、あちこちを巡る。いずれにしろこれは新たな時代であり、わたしは、もっと多くの新しい人々を新たな時代へ引き入れ、淘汰すべき者達をさらにより多く投げ捨てるために新しい働きを

2020年3月7日土曜日

全能神教会 | 神様の御言葉が私の観念を取り除いた

四川省 萧睿
全能神教会における自分の本分が福音の伝道だったころ、私がそれを行なっていたところ、偽りの証しをすることで、人々が終わりの日における神様の働きを探求して受け入れるのを狂ったように防ぎ、妨げ、阻止している宗教指導者に出会いました。彼らは警察に通報し、福音を分かち合っている私たちを逮捕させることさえしました。結果として、私たちが伝道していた人は私たちとあえて接触しないようになり、福音を受け入れたばかりの人も妨害の対象とされ、神様の働きについて確信を失ってしまいました。私たちの福音の働きは大いに妨げられてしまったのです。本物の信仰をもちながら、牧師や長老に騙され混乱させられた多くの兄弟姉妹を見て、私は心から不安を覚えました。彼らは神様の御前に立ち返り、神様による終わりの日の清めと救いを受けることができなかったのです。私は彼らと神様の御言葉について交わるべく、毎日懸命に働き、神様の働きについて彼らが抱いていた観念を解消しようとしましたが、しばらくそうしても、私たちの福音の働きは好転しないままでした。私はこう考えました。「福音の働きは実行するのがとても難しい。神様が何らかの奇跡をお示しになり、偽りの証しをする者や、神様にひどく抵抗する者を罰せられ、騙された人たちにそれをお見せになるだけで、きっと素晴らしいことに違いない。そうしたら、福音の働きがもっと順調に進むはずじゃないか。私たちが福音を宣べ伝えるのもそれほど難しくはないはずだ」困難に遭遇するたび、このようにして心に希望が湧きました。その後、『全能神に抵抗することによる懲罰の代表的な事例』という本を読んだり、交わりの際に神様のしるしや不思議に関する証しを聞いたりして、心の中で大きな喜びを感じました。またそれ以上に、福音の働きが順調に進むよう、私の働いている分野で神様が何らかの御業を行なってくださるよう望みました。しかしどれだけ強く望もうと、神様がそこで何らかの奇跡をなさることも、悪人を罰するために何かをなさることも目にしませんでした。宗教の人々はいまだ徹底的に神様に抵抗しており、私たちの福音の働きにおける困難も大きいままでした。私は消極的になってこう考えました。「神様はなぜ私たちのために道を開いてくださらないのだろう。私たちの信仰が十分ではないということなのか」
困難に直面した私は何度も神様の御前に出てその御心を求め

2020年2月4日火曜日

全能神教会 | 聖書について(4)

多くの人は、聖書を理解することと解釈できることは、真の道を探すのと同じことだと信じている。しかし、実際、物事はそんなに単純だろうか。聖書の実際は誰も知らない。つまり、聖書は単なる神の働きについての歴史的記録であること、神の以前の二段階の働きについての証しであること、神の働きの目的については何も教えていないことである。聖書を読んだことのある人はみな、そこには律法の時代と恵みの時代の二つの段階での神の働きが記録されていることを知っている。旧約はイスラエルの歴史と創造から律法の時代の終わりまでのヤーウェの働きを記録している。新約では四福音書に、イエスの地上の働きと、パウロの働きを記録している。これらは歴史的記録ではないのか。過去の物事を今日に

2020年2月3日月曜日

全能神教会 | 聖書について(3)

聖書にあることがみな、神が直接語った言葉の記録だというわけではない。聖書はただ、神の働きのうちの前の二段階を文書で記録しているに過ぎない。そこには預言者たちの預言と、各時代で神に用いられた人々の経験と認識を記したものが含まれる。人間の経験には人間の意見や認識が紛れ込んでいるが、これは避けられないことである。聖書の多くの書には、人間の観念、人間の偏見、人間の愚かしい解釈が含まれている。もちろん、ほとんどの言葉は聖霊による啓示と教えの結果で、それらは正しい解釈である。しかし、すべてが真理を正確に表現しているとは言えない。ある物事についての見方は、個人的な経験による知識に過ぎないか、聖霊による啓示である。預言者たちの預言は神が直接指示したものだ。

2020年2月2日日曜日

全能神教会 | 聖書について(2)

聖書は旧約・新約聖書とも呼ばれる。あなたたちは、「約」の意味を知っているだろうか。「旧約」の「約」とは、ヤーウェがエジプト人を殺してイスラエルの民をパロから救ったときの、ヤーウェとイスラエルの民との契約に由来する。もちろん、この契約の証しは鴨居につけた羊の血で、神はそれをもって人間と契約を結んだ。この契約は、二本の門柱と鴨居に羊の血のついた家の者はイスラエル人で、彼らは神の選ばれた民であり、ヤーウェは彼らを通り過ぎる(このとき、ヤーウェはエジプト人の初子たちと羊や牛の初子をみな殺そうとしていた)という内容であった。この契約には二重の意味がある。ヤーウェはエジプト人とその家畜を一切救わず、男の初子と羊と牛の初子をみな殺す。そこで、多くの預言書は、エジプト人がヤーウェの契約のために厳しい刑罰を受けることを預言していた。これが契約の第一層の意味である。

2020年2月1日土曜日

全能神教会 | 聖書について(1)


 

神への信仰において、どのように聖書に接するべきであろうか。これは原則的な問題だ。なぜわたしたちはこの問について話し合っているのだろうか。それは、将来あなたは福音を広め、神の国の時代の働きを広げることになるが、単に今日の神の働きについて話せるだけでは不十分だからである。神の働きを広げるためには、人々の古い宗教観念や古い信仰の方法を取り除き、人々を完全に確信させることがますます重要だ。そして、そこに至るには、聖書が関わってくる。長い間、人々の伝統的な信仰の方法は(世界の三大宗教の一つであるキリスト教においては)聖書を読むことであった。聖書から離れることは、主を信じることではない。聖書から離れ

2020年1月26日日曜日

全能神教会 | 救われることと完全な救いを得ることの本質的な違いは何か


よくよくあなたがたに言っておく。すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる。」(ヨハネによる福音書 8:34-35)
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」(マタイによる福音書 7:21)
彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。」(ヨハネの黙示録 14:3-5)
関連する神の言葉
イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了しただけで、人の贖罪のためのささげものとなり、人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかった。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられ

2020年1月25日土曜日

全能神教会 | 救われることとは、完全な救いを得ることとは何か

信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。」(マルコによる福音書 16:16)
これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」(マタイによる福音書 26:28)
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」(マタイによる福音書 7:21)
関連する神の言葉
当時、イエスの働きは人類すべての贖いであった。イエスを信じるすべての人の罪は赦された。イエスを信じているならば、イエスはあなたを贖う。イエスを信じたなら、もはや罪人ではなく、罪から解放されたのである。これが救われるということで、信仰によって義とされるということである。しかし、信じている人たちの中には反抗的で、神に逆うものが残っており、それはやはりゆっくり取り除かれなければならなかった。救われることは人が完全にイエスのものとなったことを意味したのではなく、その人はもう罪の中にはおらず、罪が赦されたことを意味した。信じるならば、もう罪の中にはいないということである。
『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(2)」より
人類は主イエスを救い主として受け入れるだけで罪が赦されるようになった。名目上は、人間の罪はもはや救いを得て神

2020年1月9日木曜日

全能神教会 | 終わりの日のキリストの語られる言葉 「神と人は共に安息に入る」その1



全能神は言われます「人が安息を失ったので、神も安息を失った。神がもう一度安息の中に入る時、人も安息の中に入る。安息の中の生活とは、戦いも道徳的堕落も、持続する不義もない生活である。そのような生活には、神に敵対するいかなる勢力の侵入もないだけでなく、サタン(サタンとは敵対する諸力を指す)による妨害もサタンの堕落も存在しない。万物がおのおのその同類のものに従い、造物主を礼拝する。天上も地上も平穏になる。これが人類が安息に入った生活である。神が安息の中に入った時、地上にはもうどんな不義も持続せず、もういかなる敵対勢力の侵入もなくなる。人類も新しい領域の中に入る。すなわち、彼らはもはやサタンに堕落させられた人類ではなく、サタンに堕落させられた後救われた人類である。」

2019年12月27日金曜日

全能神教会 | 神を再び磔にする者は災いである


終わりの日において、神は御働きを行なわれるために中国で受肉され、数百万語の御言葉を表され、御言葉によりある集団を征服し救われ、神の家を皮切りに新たに裁きの時代の幕開けをもたらされました。現在、終わりの日における神の御働きの拡大は、中国本土において絶頂期に達しています。カトリック教会とその他のキリスト教派や分派で真理を追求する人々の殆どが、神の王座の御前へと戻っています。受肉した神は聖書で預言されている「人の子の隠れた降臨」の御働きを既に完了され、まもなく世界各国の各地において公に出現されるでしょう。世界各国の各地で神の御出現を渇望している人々は皆、神の公の御出現を見上げるでしょう。神の御国を侵害したり破壊したり出来る勢力は存在せず、神を拒む者全てが、神の怒りにより罰せられるでしょう。これは神の次の御言葉にあるとおりです。「わたしの国は全宇宙の上に形を取り始め、わたしの玉座は何億もの人々の心の中を統治する。天使たちの助けを借りて、わたしの偉業はまもなく実現されるだろう。わたしの子供たちとわたしの民は皆わたしが戻るのを息を殺して待ち、彼らが二度とばらばらにならないように再び結びつけることを強く望んでいる。わたしの国の多くの民衆が、わたしが彼らと共にいるのを喜んで、互いに駆け寄らずにはいられないだろう。これは対価を支払う必要のない再会なのだろうか。わたしはすべての人の目に尊敬に値する者として映り、すべての人の言葉によって宣言され

2019年12月26日木曜日

全能神教会 | 全能神の御国の福音の中国における伝播


1995年、全能神の御国の福音証しをする働きが中国本土で正式に開始しました。神への感謝と真の愛をもって、私達はあらゆる教派・分派の兄弟姉妹に対して全能神の御出現と御働きを証ししました。これらの兄弟姉妹の指導者から極度の抵抗と中傷を受けるとは、全く予想しませんでした。私達に出来ることは全能神の御前に行き熱心に祈り、神が自ら御働きを行ってくださるよう懇願することだけでした。1997年以降、私達は聖霊が大規模な御働きを行われているのを見ました。各地の教会で信者数が急増しました。それと同時に、多数のしるしと不思議が起こり、神の啓示を受けたり、しるしと不思議を見た結果、さまざまな教派や分派の多くの人々が全能神の元へと戻りました。聖霊が御働きを行われなかったなら、人間には何が出来たでしょうか。これにより私達は、自分がなんらかの真理を理解していても、人間の力だけでは全能神の証しに立つことは出来ないということを認識させられました。各教派・分派の人々が全能神を受け入れた後、全能神の御言葉を食べ飲みして享受することにより、心の中で次第に全能神を確信し、その後一定期間を経て、彼らの中に真の信仰と従順さが生まれました。こうして各教派・分派の人々は王座の御前へと引き上げられ、以前に想像していたように「天で主に会う」ことを望まなくなりました。
御国の福音の伝播が始まって以来、私達は中国政府に追跡され、残虐な迫害を受けました。それ以上に悲劇的なことに、私達はカトリック教会その他全てのキリスト教教派・分派か

2019年12月25日水曜日

全能神教会 | 中国における終わりの日のキリストの出現と働きの背景についての概要


中国は赤い大きな竜が棲む地であり、有史以来、神が最も激しく拒まれ、非難されてきた場所です。中国は難攻不落の悪魔の砦のようであり、悪魔に支配されている脱走不可能な監獄のようなものです。その上、赤い大きな竜の政権は、あらゆる行政階層において警戒を強化し、各家庭において防衛手段を講じています。その結果、神の福音神の働きの実行が中国より困難な場所はありません。中国共産党が政権を得た1949年、中国本土の宗教的信仰は完全に弾圧、禁止されました。数百万名にのぼるキリスト教信者が公に屈辱と拷問を与えられ、投獄されました。全ての教会が完全に封鎖され、一掃されました。家庭における集会さえも禁じられました。集会に参加しているのが見つかると、参加者は投獄され、斬首されることもありました。当時、宗教的活動は、ほぼ跡形も無く消え去りました。ごく少数のキリスト教信者が神への信仰を続けましたが、ただ黙って神に祈り、心の中で賛美歌を歌い、教会の復興を神に嘆願することしか出来ませんでした。ついに1981年、教会が本当に復活し、聖霊が中国において大々的に働きを開始しました。幾つもの教会が雨後の竹の子のように現れ、多くの人々が神を信仰するようになりました。教会の復興が絶頂を迎えた1983年、中国共産党は新たに残虐な迫害を開始しました。数百万名が逮捕、禁固され、労働による再教育を受けました。赤い大きな竜の政権が神を信じる人に入会を許可したのは、政府が創設した三自愛国教会のみでした。中国共産党政府が三自愛国教会を設立したのは、地下組織のハウスチャーチ(家庭教会)を一掃し、主を信じる人々を政府の管理下に置くためでした。政府は、信仰を禁じ中国を神が不在の地とする目的を達成するには、その方法しか無いと考えたのです。しかし、聖霊はハウスチャーチと神を真に信仰する人々の中で働きを継続し、これを止める術は中国共産党にはありませんでした。当時、聖霊が働い

2019年12月24日火曜日

全能神教会 | 全能神教会の起源と進展




恵みの時代に主イエスは弟子たちに次のように約束なさいました。「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(ヨハネ14:3)イエスはまた次のようにも予言なさいました。「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイ24:27)終わりの日に、自ら約束し預言したように、神は再び肉となられ、主イエスの贖いの働きの基盤の上に言葉を使って裁き、刑罰、征服、救いの働きをするために、世界の東方中国に降臨なさいました。これにおいて、聖書の次の予言が成就しました。「さばきが神の家から始められる時がきた。」および「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」終わりの日の神の働きは恵みの時代を終わらせ、神の国の時代を開きました。全能神の御国の福音が急速に中国本土に広がるにつれて、全能神教会は出現しました。事実で証明されたように、全能神教会が出現したのは完全に終わりの日の神の働きの結果であり、人の手により設立されたものではありません。全能神教会の選ば